2013年05月11日

ベガルタ!

やった!やった!
大宮の無敗記録止めた~
やると思ってたよ~
ベガルタってこういう事出来るのに下位に負けたりする面白いチームだよね(笑)
そういうところが好きなんだけど。
とにかく勝ってよかった~  


Posted by 五十衛 at 15:57伊達・仙台・宮城

2013年05月11日

東日本大震災から2年2ヶ月

今日で東日本大震災から2年2ヶ月になります。
毎月11日に書いてるこの記事ですが、前回予告した通り今回から『震災当時を思い出して「ああだった、こうだった」「あれがあればよかった」等を書いて、記憶に留める事とこれからの防災対策に役立てる事』的な内容に変えます。
取りあえず、多方面で色々書きたいと思ってるのでサブタイトル的なものをつけて分かりやすいようにします。

【東日本大震災以前の防災意識と対策】

記憶力はいい方なので思い出せるだけ思い出してみる。
最近衰え気味なのでどこまで思い出せるか分からないけど。
幼稚園児の頃の記憶は若干曖昧だけど、防災訓練(避難訓練)はちゃんとやっていた。
だけど先生の指示に従って教室の出入り口に並んで外に避難するっていうだけの事だったような。
でも「おかし」は教えられた。
「おさない」「かけない」「しゃべらない」ってやつ。
我が家で非常用持ち出し袋を準備してたかは不明だけど、お菓子が入ってる戸棚にクラッカーが入ってて「地震の時のだから食べちゃダメ」と言われてた記憶がある。
母親が乾パンが嫌いなのと、子供用って事でこれを準備していたのではないかと思う。
転倒防止等の対策はしてなかった。
そもそもこういうグッズってまだ無かったんじゃないのかな?
それに地震も一番大きくて震度3ぐらいしか起こってなかったし、頻度も低かった。
特に地震が怖いとかいうのも無かった。
でも私は非常に敏感で震度1でもよく感知してた。
地震に対して興味というか防災意識を持つようになったのは小学校に入ってから。
宮城県といえば、周期的に起こっている「宮城県沖地震」がある。
防災訓練では必ずこの宮城県沖地震を想定した訓練が行われていた。
正確な回数は覚えてないけど、年間で結構な頻度で訓練あったな。
今よりは確実に多い筈。
椅子には防災頭巾が常に装着されてたし、訓練では必ず使用してた。
授業中だけじゃなくて休み時間中にサイレン鳴って訓練開始とかもあった。
そして訓練する日には必ず1978年の宮城県沖地震の話を聞かされた。
周期的な地震だから大人になってる頃に大きな地震がくるぞと脅かされたものだったな。
だからしっかり訓練しなさいと。
私はまだ生まれてなかったけど、殆どの先生が体験してるのでリアルな話を聞けたし、訓練を真面目にやらないと凄い勢いで先生が怒ってた。
今と違って先生に叩かれて体罰云々って時代じゃなかったので、ふざけたりしてると普通に叩かれてたね。
私は真面目にやってたから怒られた事はないよ、念の為(笑)
宮城県沖地震についてよく聞く話は倒れたブロック塀の下敷きになって亡くなった方が大勢いた事。
これによりブロック塀に鉄筋が入るようになったのは有名な話。
学校でそういう話を聞くと家でこんな話聞いたとか報告するものだけど、その時に親はどうだったかを聞いたりして「宮城県沖地震」というものを低学年の内に認識した感じだったかな。
「家庭で備えているものを調べてこよう」的な宿題を出されたりして、その時に我が家で非常用持ち出し袋を準備してる事が判明した。
でもその頃は水、クラッカーぐらいしかリュックに入って無かったような記憶が。
ラジオは普段から使ってるから出てるし、懐中電灯も停電になってもすぐ取れるような位置に置いてあったし、ロウソクとか電池とか救急セットも基本的にそういう類のものを入れる押入れがあるので、物はあるけどリュックには入れてなかった気がする。
震度3程度の地震しか起きてないし、震度3で家に被害なんて出ないから避難する事は想定してなかったんじゃないかな。
ブロック塀の件とか対策してるし、新しい建物が多かったから大丈夫だろと思ってた。
宮城県沖地震で家屋が倒壊したのは昔で古いからだと思ってたんだよねー
過去を見れば「昔」になるけど、宮城県沖地震当時は「今」だから別に古かった訳じゃないのにね。
まぁ子供だったので笑ってスルーして(笑)
家屋倒壊被害が多くて建築基準法が改正されたのも宮城県沖地震によるものでこれも有名な話だね。
有名な話って2つ書いたけど、今の人ってやっぱり知らないのかなぁ?
とにかく実体験が無いとあまり危機感は生まれないのではないかと思う。
実体験ではないけど、子供会のイベント等で地震体験車を呼んで体験するって事はしていたらしい。
私は記憶に無いけど、姉が子供の頃に体験した事があるそうだ。
姉が子供の頃だと、私はまだ生まれていないか小さ過ぎた頃かもしれない。
取りあえず、この時点で危機感は殆ど無く、対策も微々たるものだった。
自分用の非常用持ち出し袋も無かったしね。

ちょっと長くなったので今回はここまで。
次回に続きます。  


Posted by 五十衛 at 12:05災害・防災関連