2014年06月20日
2014年06月19日
2014年06月19日
2014年06月18日
2014年06月17日
2014年06月16日
2014年06月16日
2014年06月15日
2014年06月15日
2014年06月15日
2014年06月15日
2014年06月14日
2014年06月14日
2014年06月14日
2014年06月13日
2014年06月12日
総合防災訓練
今日は宮城県沖地震から36年。
県と市で総合防災訓練がありました。
地震、津波、大雨特別警報が重なる想定だったようですね。
初めて夜間の想定で行なったとか。
こういう訓練が大事なんだよね。
今後も最悪の状況を想定した訓練をして欲しいね。
県と市で総合防災訓練がありました。
地震、津波、大雨特別警報が重なる想定だったようですね。
初めて夜間の想定で行なったとか。
こういう訓練が大事なんだよね。
今後も最悪の状況を想定した訓練をして欲しいね。
2014年06月11日
東日本大震災から3年3ヶ月
今日で東日本大震災から3年3ヶ月になります。
震度4の地震が連日起こりましたが、まだまだ余震続くなぁという感じですね。
前にも書いたけど個人的には3年節目には大きいのが起きるんじゃないかと警戒してる。
最近の大雨もそうだけど、自然災害にはちゃんと備えておく事が大事だよ。
でも過信してはいけない。
防災訓練もしてるから絶対安心なんてありえないから。
所詮訓練は安全な状況下で行われるからね。
訓練と違う状況が発生してる時にどれだけ臨機応変に対応出来るかがポイントで、何回も同じ訓練をしたからいいってもんじゃない。
さて、今回も続き物です。
【東日本大震災時の備え】
震災以前の事は前回終わったので、今回は震災時に備えていたものが十分だったか等について書きます。
震災時私は職場にいました。
備えていたのは、「防災訓練」、「懐中電灯」、「ラジオ」、「電池式充電器」、「電池」、「食料」ぐらいでした。
まず防災訓練について。
職場での防災訓練は、「○日の○時頃に宮城県沖地震発生しますから」という事前通知タイプでした。
時間通りにサイレンが鳴って放送で指示が出て、上司がリーダーとなってその指示のもと外に避難するというものでした。
避難完了するまでの時間を計り、人数確認して報告して終了。
消火器の使い方等は上司達だけ集められて練習する感じでした。
地震が起きた時、私はフロアの一番奥に居ました。
3月9日に震度5弱の地震が起きており、震度4程度の余震が起きるだろうという気象庁の発表があったのでちょっと強めの余震だなと思いました。
訓練では職員が放送をするんだけど、大きい地震が起きると自動音声で震度やどういう対応をしなさいというのが流れます。
「震度3の揺れを検知しました」と流れ、「3の揺れじゃないだろ」と思った時には放送は途切れ激しい揺れに襲われました。
頭を守れるものが無かったので腕で頭を守りましたが、揺れが激しくて中々収まらず立っているのもやっとだった為、使っていた台車にしがみつき、中身を出して頭を突っ込む形で揺れが収まるのを待ちました。
この段階で、フロアの入り口付近に居た人達は避難したようです。
揺れが収まった時には放心状態で、上司も近くにおらず、取りあえず訓練通りに放送の指示に従おうと待っていました。
私と同じくフロアの奥の方に居た人達はこの時点で完全に取り残され組になってました。
「どうするの?」と残った人達で顔を見合わせてたところに上司が来て避難開始しました。
避難中にまた揺れ出して、逃げるのか揺れが収まるのを待つか悩んでたら「逃げろ逃げろ逃げろ!」って言われて残ってた人達皆で走って逃げました。
訓練では走らないようにってなってるけど、天井が崩れ落ちてて建物が崩れるんじゃないかと思ったら走って逃げちゃうよね。
外に出て訓練の時と同じように集合し、人数を数えて報告し取りあえず待機。
この時に放送設備は放送が途切れた時に壊れたという事を知りました。
自分の中で放送設備が壊れる事は頭になかったです。
もし上司が来なくて放送をずっと待ってたら崩れたところの下敷きになってたかもしれない。
寒い外で待機中、各々が家族に連絡取ったり情報収集。
私は地震がくると、仕事中だろうが何だろうがすぐに通信規制される前に自分の無事を家族に連絡するようにしています。
すぐに「生きてる」とだけメールを送信しました。
この時の時間は14時53分。
地震発生から7分後でした。
結構時間が経っていたと思う。
今後どうするのか、現状はどうなってるのか、上司達が集まってるけど下まで情報は流れてこなかったので自分で情報収集するしかありませんでした。
上司達も混乱しており、いつになったら帰れるんだという不満が出始め、勝手に帰る人も出てきました。
この時思ったのは、「防災訓練はさっぱり役に立たなかったなぁ」です。
「放送の指示を待ち、上司に従い、慌てず走らず速やかに外に避難する」は出だしでつまずきましたし、上司が常に近くに居る訳でもないし、危険な場所を歩いて逃げるなんて事はあり得ないです。
訓練は所詮訓練でしかないという事を痛感しました。
安全な状況で避難出来るのは当たり前で、少しでも逃げ遅れたら死ぬかもしれないという危険な状況で個人が適切に判断して自分の身を守りながら避難しなくてはならないというのがいかに難しいか分かりました。
そして訓練では行ってこなかった「その後の対応」も考えるべきですね。
貴重品とか置いて逃げた訳で、いつ建物に入れるのか、安全確認は誰がするのかも決まっていない感じでした。
情報の共有もなく、組織としてどうなのかと思いました。
防災訓練は全く備えとして機能しなかったと言えるでしょう。
今回はここまで。
震度4の地震が連日起こりましたが、まだまだ余震続くなぁという感じですね。
前にも書いたけど個人的には3年節目には大きいのが起きるんじゃないかと警戒してる。
最近の大雨もそうだけど、自然災害にはちゃんと備えておく事が大事だよ。
でも過信してはいけない。
防災訓練もしてるから絶対安心なんてありえないから。
所詮訓練は安全な状況下で行われるからね。
訓練と違う状況が発生してる時にどれだけ臨機応変に対応出来るかがポイントで、何回も同じ訓練をしたからいいってもんじゃない。
さて、今回も続き物です。
【東日本大震災時の備え】
震災以前の事は前回終わったので、今回は震災時に備えていたものが十分だったか等について書きます。
震災時私は職場にいました。
備えていたのは、「防災訓練」、「懐中電灯」、「ラジオ」、「電池式充電器」、「電池」、「食料」ぐらいでした。
まず防災訓練について。
職場での防災訓練は、「○日の○時頃に宮城県沖地震発生しますから」という事前通知タイプでした。
時間通りにサイレンが鳴って放送で指示が出て、上司がリーダーとなってその指示のもと外に避難するというものでした。
避難完了するまでの時間を計り、人数確認して報告して終了。
消火器の使い方等は上司達だけ集められて練習する感じでした。
地震が起きた時、私はフロアの一番奥に居ました。
3月9日に震度5弱の地震が起きており、震度4程度の余震が起きるだろうという気象庁の発表があったのでちょっと強めの余震だなと思いました。
訓練では職員が放送をするんだけど、大きい地震が起きると自動音声で震度やどういう対応をしなさいというのが流れます。
「震度3の揺れを検知しました」と流れ、「3の揺れじゃないだろ」と思った時には放送は途切れ激しい揺れに襲われました。
頭を守れるものが無かったので腕で頭を守りましたが、揺れが激しくて中々収まらず立っているのもやっとだった為、使っていた台車にしがみつき、中身を出して頭を突っ込む形で揺れが収まるのを待ちました。
この段階で、フロアの入り口付近に居た人達は避難したようです。
揺れが収まった時には放心状態で、上司も近くにおらず、取りあえず訓練通りに放送の指示に従おうと待っていました。
私と同じくフロアの奥の方に居た人達はこの時点で完全に取り残され組になってました。
「どうするの?」と残った人達で顔を見合わせてたところに上司が来て避難開始しました。
避難中にまた揺れ出して、逃げるのか揺れが収まるのを待つか悩んでたら「逃げろ逃げろ逃げろ!」って言われて残ってた人達皆で走って逃げました。
訓練では走らないようにってなってるけど、天井が崩れ落ちてて建物が崩れるんじゃないかと思ったら走って逃げちゃうよね。
外に出て訓練の時と同じように集合し、人数を数えて報告し取りあえず待機。
この時に放送設備は放送が途切れた時に壊れたという事を知りました。
自分の中で放送設備が壊れる事は頭になかったです。
もし上司が来なくて放送をずっと待ってたら崩れたところの下敷きになってたかもしれない。
寒い外で待機中、各々が家族に連絡取ったり情報収集。
私は地震がくると、仕事中だろうが何だろうがすぐに通信規制される前に自分の無事を家族に連絡するようにしています。
すぐに「生きてる」とだけメールを送信しました。
この時の時間は14時53分。
地震発生から7分後でした。
結構時間が経っていたと思う。
今後どうするのか、現状はどうなってるのか、上司達が集まってるけど下まで情報は流れてこなかったので自分で情報収集するしかありませんでした。
上司達も混乱しており、いつになったら帰れるんだという不満が出始め、勝手に帰る人も出てきました。
この時思ったのは、「防災訓練はさっぱり役に立たなかったなぁ」です。
「放送の指示を待ち、上司に従い、慌てず走らず速やかに外に避難する」は出だしでつまずきましたし、上司が常に近くに居る訳でもないし、危険な場所を歩いて逃げるなんて事はあり得ないです。
訓練は所詮訓練でしかないという事を痛感しました。
安全な状況で避難出来るのは当たり前で、少しでも逃げ遅れたら死ぬかもしれないという危険な状況で個人が適切に判断して自分の身を守りながら避難しなくてはならないというのがいかに難しいか分かりました。
そして訓練では行ってこなかった「その後の対応」も考えるべきですね。
貴重品とか置いて逃げた訳で、いつ建物に入れるのか、安全確認は誰がするのかも決まっていない感じでした。
情報の共有もなく、組織としてどうなのかと思いました。
防災訓練は全く備えとして機能しなかったと言えるでしょう。
今回はここまで。
2014年06月10日
奈落
私にはいい事が滅多に起きない。
だからいい事があるとテンションが上がる。
しかしいい事があるとすぐ悪い事が起きる。
しかも悪い事のレベルが半端ない。
そしてテンションが下がる。
今回の悪い事が相当なレベルなので色々ツラい。
テンション奈落状態。
だからいい事があるとテンションが上がる。
しかしいい事があるとすぐ悪い事が起きる。
しかも悪い事のレベルが半端ない。
そしてテンションが下がる。
今回の悪い事が相当なレベルなので色々ツラい。
テンション奈落状態。