2015年07月11日

暑い

何だ今日は超暑いな。  


Posted by 五十衛 at 14:16日常

2015年07月11日

東日本大震災から4年4ヶ月

今日で東日本大震災から4年4ヶ月になります。
最近自然災害が増えているけど備えているか。
備えていれば完全に防ぐ事は出来なくても被害を最小には出来ると思うんだよね。
昨日は長面地区の捜索が震災後初めて行われたってニュースでやってたけど、未だ手付かずのところがまだあるんだよなぁと思うと被害の大きさを再認識するね。
青葉城址の鳶の像もやっと修復に出されたしね。
でも修復終わっても上には戻さないで下の方の台座に置くって言ってたな。
個人的にはあの羽根を広げてるのは高い位置にあってこそじゃないかなと思う。

さて、いい加減休んでた続き物再開。

【東日本大震災時の備え6】

大きい余震が何度も何度も起きて全然眠れなかったんだよね。
寒かったのもあるけど、家が崩れるんじゃないかと気が気じゃなかった。
揺れる度にベッドから出て荷物持って玄関向かっての繰り返し。
そんな感じで寝てられなかったから朝早く起きた。
備蓄しておいた水とクラッカー、買い置きしてたカップラーメン、お菓子類、冷蔵庫の中身が少々、ストック電池がこの日で無くなりそうな状況だった。
話合った結果、水と食料の確保を最優先、あとガソリン、ケータイの充電を何とかする方向に決まった。
まず、近所の人からちょっと離れた学校の校庭の水道から水が出るとの情報を得たのでその学校へポリタンクとペットボトルを持って行った。
ポリタンクは昔魚釣りや潮干狩りに遠出する時に手洗い用の水を入れて持っていってたやつで最近は全然使ってなかったけど、ずっと取っておいてた。
18リットルぐらいので、蛇口みたいなのがついてるタイプ。
空のペットボトルはゴミに出す前だったので2リットルのが3本ぐらいあった。
学校に行ったが、昨日出てたはずの水は出なくなっていた。
同じように来てた人から「他の施設に給水車が来るらしい」という情報を得たので、取りあえず行ってみる事にした。
行くと数人が並んでて、「給水車が来るかは分からないけど並んでいる」との事。
母親が並び、私と父は食料とガソリンとケータイ充電の為に市役所付近に車で行く事にした。
ガソリンスタンドは長蛇の列で、営業するのかしないのかも分からない状況だった。
何時間も掛かるからと父は並びたくないようで、空いてるところを探してグルグル回り、営業しそうなところを発見して並んだ。
その時、コンビニの袋を持って歩いている人が居て「営業しているのかも」と私は車を下りてコンビニへ向かい、列を発見して並び、入場制限をしていたが30分ぐらい並んで入れた。
買う量に制限は無かったので、私が入った時にはほとんど物はなかったが、お茶、コーラ、飴、ガム、チョコ、グミ、マシュマロ、おつまみ昆布を買う事が出来た。
やはり、手分けするのがいいと思う。
そうなると独り身は大変だなぁと思うね。
分担したから何とかなったけど、どこも長時間並ぶ事を考慮すると何が最優先か絞らないといけないし、1つ選んだところがダメだった場合、何も得られなかったって事になりかねない。
それが水や食料だったら大変だよね。
ホントに死活問題。
下手したら死ぬよ。
車に戻ると、並んでたガソリンスタンドは緊急車両のみだったそうで結局ガソリンを入れる事は出来なかった。
ケータイの充電も1人15分との事だったので、あまり意味ないかもしれないとの事で家に戻る事にした。
途中で妹から電話が来て「マンションの住人皆で避難所に行った。高台だから津波の心配はない」との事で一安心。
姉に妹から連絡があった事と現在の状況をメールした。
とにかく情報不足だった。
繋がり始めたネットでケータイから市役所のホームページを見たけど、給水等の情報は全く無くてハッキリ言って何も役に立たなかったし、アクセス集中して繋がらないし、役所系ホームページでよくあるPDFでの文書公開でガラケーから見れない。
ホントにあれ程行政に呆れたのは初めてだった。
私は普段「どこバス仙台」っていう仙台市交通局のバスが今どの辺にいるか分かるサイトを利用しているんだけど、これも通勤ラッシュの朝とか全然繋がらないの。
一番使いたい時に繋がらないってホント頭にくるって言うか役立たずだし無意味だよね。
普段からこれなんだよ。
これだからお役所はって言われても言い訳出来んだろ。
そういう訳で、災害時に行政のホームページは繋がらないもの、大した情報はないものと思ってた方がいいと思う。
停電していない姉に調べて貰った方が分かるだろうという事で、メールがまだ不安定なので公衆電話から電話を掛ける事にした。
公衆電話はこの時既に無料になっていて、近所に1台あって夜中はほとんど誰も使ってなかったので夜になったら電話する事にした。
停電しても公衆電話は使えるという事は覚えておいた方がいい。
ただ公衆電話が減ってきているから今後どうなるかは分からない。
家に帰り、する事と言ったら片付けしかなくて、でも余震続いててまた崩れると思うとやる気も出ないし、お腹空いてるし・・・という感じだった。
やっぱりお腹空くとダルくなるんだよね。
エネルギーが足りないから動きたくないし、ちょっと動くとすぐ疲れるし。
食料の確保ってホント大事。
備蓄は3日分とか1週間分とか言われてるけど、3日分は絶対足りない。
1週間分も食べ方によっては足りないと思う。
当初3日ぐらいで元の生活に戻るだろうと思っていたけど、全然元に戻る様な状況じゃないし、近所の店は開いてない、ガソリンは無い、電気も水道もガスも無いこの状況が長期間続いたら一体どうなってしまうんだろうと思った。
いかに自分が贅沢で便利な生活をしていたかというのが身にしみて分かった。
宮城県沖だって来る来る言って備えてたけどまだまだ来ないと思ってたし、今回の地震は宮城県沖じゃないのにここまで酷い状況になった。
宮城県沖が来たらまた同じようになるのかと思うと気が重くてどうにもならなかった。
マイナスの事しか考えられなくて、自分で自分を追い詰めているような感じだった。
この時はホントに心折れてた。
戦時中ってこんな感じだったのかなぁとか思って辛かった。
でもネットが繋がりやすくなり始めたから、電気はそろそろ大丈夫なんじゃないかとちょっと期待はしてた。

今回はここまで。  


Posted by 五十衛 at 02:55災害・防災関連