2015年11月11日

東日本大震災から4年8ヶ月

今日で東日本大震災から4年8ヶ月になります。
5日は津波防災の日だったけど、意外に知らない人が多くてビックリした。
でも津波が絶対に到達しない内陸に住んでるとそこまで関心がないのもしょうがないかなとは思う。
自分も家にいれば津波被害は絶対ないからなぁ。
でも、沿岸部にいる時に津波発生したらどうすんのって事を頭に入れて訓練とかはちゃんとやってた方がいいよ、勿論。
さて、いい加減休んでた続き物再開。

【東日本大震災時の備え7】

前回は13日に僅かな食糧確保、お腹が空いて辛いところまでだったな。
水の確保に動いていた母が何とか水を確保して帰宅。
それぞれの情報を交換し合いました。
こういう時に人見知り激しい人って大変だと思う。
私もそうなんだけど、知らない人でも積極的に話しかけて情報を得る事が大事。
昼近かったので僅かな昼ご飯を食べました。
お腹が空いてるとガツガツと早く食べてしまいがちだけど、ゆっくり良く噛んで少しでも満腹感が得られるように食べるといいと思う。
水は色んな場面で大事になってくるので、まずお茶系の飲み物から消費していくことにしました。
この頃からあれが食べたいこれが食べたいと思うようになりました。
無いもの程欲しくなるってこういう事かと思いました。
私は断然米でした。
毎日食べるのが当たり前のものを食べられないってかなりの苦痛。
被災者の「○○が食べたいなぁ」というインタビューに対して、被災していない人達から「贅沢言うな」とか言われたりしたけど、ただの希望だろうに。
ささやかな夢だよね。
もう少し頑張れば食べられるかなとかさ、そういう心情になるんだよ。
それを、そんな風に言わなくてもいいじゃない。
ていうか、何でそんな上から目線なの?って思ったね。
そもそも被災者が贅沢言っちゃいけないのは何故?
貴方達はそれいつでも食べられる状況であって、逆にそっちの方がこっちからみたら贅沢ですけど。
ボランティアも「してあげてる」って感じの人達もいたけど、そういう人はぶっちゃけ来なくていいよって思う。
ほどこしをする人、ほどこしを受ける人みたいな構図になるのはどうかと思うし、それボランティア精神に反してるんじゃないのって思う。
勿論、被災者がして貰って当然みたいな態度とるのもダメだけど。
まぁ会社や学校で強制的に全員参加みたいになってると、したくないのにしてる人も中にはいるんだろうな。
そういう人を人で無しだとは思わないし否定もしない。
嫌なものは嫌だからね。
おっと、話が逸れたから戻すけど被災者にとってほんの些細な事でも生きる希望になる。
「○○食べたい」は「○○食べるまでは生き抜くぞ」って事だと思って欲しい。
苦痛と言えばお風呂に入れないのがキツかったね。
体も頭も痒くてしょうがない。
この時は水が少ないから体も拭けなかった。
あとトイレね。
バケツの水で流すのが結構大変だった。
臭いもするしね。
芳香剤とかあるといいかもしれない。
我が家はいわゆる「トイレの臭い」的な芳香剤は使わないようにしてるから無かったんだよね。
でも下水管壊れたら流せないから、流せただけよかったと思うべきか。
そういう事態もあるから簡易トイレは絶対必要。
昼ご飯の後は部屋を少しだけ片付けました。
余震続いてたから取りあえず足の踏み場が出来る程度だけ。
その間、近くの学校でプールの水が貰えるらしいって事で父が行き、母は自転車で開いてる店探し。
片付けが終わった頃に妹が彼氏(現旦那)に送られて帰ってきました。
この時の喜びは計り知れなかった。
津波到達した地域で高台の避難所とはいえどれぐらいの高さかも分からず、もっと大きい津波が来たらと不安だった。
通行止めが解除されたのも知らなかったし、ガソリンがヤバくて初日以降迎えに行けなかったんだよね。
聞けば、備えらしい備えを全くしてなかった妹の為に電池や衣類を調達してくれたそうで、この時はまだ見た事も無かった妹の彼氏(現旦那)に感謝した。
こういう危機的状況の時に自分以外の事を考えられる人は間違いなくいい人だと思う。
親が帰ってきて、開いてた店を発見して温めて食べられるご飯をGETしてた。
湯煎でも大丈夫なので、夜ご飯はこのご飯とさんまの缶詰を2人で1個ずつ食べました。
いつ普通の量を食べられるようになるか分からないから少しずつ食べた。
久し振りのご飯美味しかった。
缶詰は長持ちするし備蓄には一番いいと思うな。
ご飯を食べてからはラジオを聞きつつ、毛布に包まりながら点けられないコタツに足を入れて足の放熱を共有しつつ明日の予定を話し合った。
この日開いていた店は明日も開くかもしれないという事で、2人は買い出し、1人は給水、1人はプールの水という事に決定。
時間は22時をまわり、そろそろ寝ようかという事でふと外を見ると家のすぐ前の外灯が点いてた。
ブレーカーを上げて明るくなったあの時の喜びも計り知れなかったな。
ブレーカーを上げる前に、スイッチ等がちゃんとオフになってるか確認しないと危険なので注意しよう。
電気がくれば何かしら生活が改善されると思っていたので嬉しくてたまらなかった。
でもテレビをつけたが地デジが全く映らなかった。
我が家はケーブルテレビ会社にアンテナ工事をして貰っていたので、「もしかしたらケーブルテレビ会社も被災して電波状態悪いのかもしれない」と思い、アナログに切り替えた。
すると映ったは映ったけど、ノイズが酷くて何が映っているのかはよく分からなかった。
どこかおかしくなったのかもしれないと思ったけど、取りあえずこの日はもう疲れたから寝ようという事になった。
私は部屋に戻ってネットが繋がる事を確認し、姉に電気復旧の連絡をして、ブログもやっと更新した。
この時皆様からのメッセージも確認する事ができて、沢山のメッセージが来ていた事に驚き、嬉しくなり、そして励まされました。
心が折れている時って、ホントに生きる希望になるよ。
頑張ろうって思える。
あと、色んな情報も助かった。
ツイッターやってないんだけど、ツイッター見るといいよと教えて貰ってかなり助かった。
電池のストックが残りわずかだった事を思い出し、ケータイの充電をしながら情報収集。
この時、マグニチュードが9.0に修正された事を知り、とんでもない事になったと感じました。
国内観測史上最大、世界最大級、まさかその地震を体験する事になろうとは。
電気の復旧により、水道やガスもすぐ復旧して元の生活に戻れる日も近いだろうと、楽観的になって晴れやかな気持ちで眠りについた。

今回はここまで。
とにかく情報収集が大事。
妹のように全く備えてないとホント大変なので、すぐ逃げなきゃいけない状況でも最低限持ち出せるように一次持ち出し袋の準備は必ずしておこう。  


Posted by 五十衛 at 02:07災害・防災関連