2011年04月13日

東日本大震災まとめ2

東日本大震災まとめの続きです。

【3月11日】
私は地震がくると、仕事中だろうが何だろうがすぐに通信規制される前に自分の無事を家族に連絡するようにしています。
すぐに「生きてる」とだけメールを送信しました。
この時の時間は14時53分。
地震発生から7分後でした。
そして情報収集を開始しました。
この時はもう冷静さを取り戻す事が出来ました。
地震速報を見ると最大震度7、震源は三陸沖。
私は今度こそ宮城県沖がきたんだと思っていたのでビックリすると同時に「余震は震度4程度って言ってたのに・・・もう発表は絶対信用しない」と思いました。
職場付近の震度は6ぐらいという事が分かりました。
家の方が震源に近いので、職場が崩壊したぐらいだからもしかしたら家が崩れているかもしれないと思いました。
そしてふと、午前中の休憩時間に見たブログの事を思い出し「9日のは前震でこれが本震なのか?」と思いました。
「これ宮城県沖?宮城県沖だよね?」と話していた人達に「震源三陸沖」と伝えると、やはり「宮城県沖じゃないの!?」とビックリしていました。
宮城県沖以外でこんな大きな地震が起こるとは全然思っていませんでした。
妹から「怖いから外に逃げた」と返信があり、姉からは「職場にいるから大丈夫」と返信がありました。
母からは「帰って来れる?」と返信があり「そうだ電車!あぁ~だから職場に居る時の地震はイヤなんだぁ~」と項垂れました。
9日の時も止まって、しばらく経ってから運転再開されました。
とにかく早く仙台に帰りたかったので、この後職場の片付けとかするんだろうと思ったけど、電車を理由に早退しようと考えていました。
すると、上司に「帰りは心配しなくていいから。誰か必ず送っていくから」と言われ、「電車動かなかったらそうして貰おう」と思いました。
この時はまだ周りの状況が分からなくて、電車も9日のようにしばらくしたら動くんだろうと思っていました。
「まだ待機中だけどすぐ帰るつもり。誰かに送って貰える」と返信したら電話が掛かってきて、母は仕事が終わりになって家にこれから帰るとの事でした。
この頃から、電話やネットが若干繋がりにくくなりました。
県外の友人から心配するメールが届いたりして、何度かセンター問い合わせをしてようやく受信出来るような状況でした。
職場はワンセグが映らないし、こういう時の為に持ってたラジオもロッカーの鞄の中だから取りに行けずで、情報収集が行き詰りました。
防災担当の社員から「放送が使えなくなった。ただ今復旧中」と言われました。
訓練では拡声器を使うけど、それも無かったので皆逃げるので精一杯だったんだろうと思いました。
でも、拡声器が無いと声って聞こえないものなんだなぁと感じました。
放送機器が復旧されれば、詳しい情報も入ってくるだろうと安堵しました。
この時外が寒くて、天気予報では確か夕方ぐらいに雪って言ってたような気がします。
若干雨がぱらついてきて「夕方じゃないし!天気予報も信用できない!」と思いました。
男性社員が上着脱いで女性社員に貸してくれて有り難かったです。
取りあえずまだ待機という事だったので、地震発生時に他の場所に居た人にどんな感じだったか聞いたりしました。
「デスク下に潜ってたら、コピー機が動いてドアを塞いだ」とか「トイレにいてビビった」とか「立ちくらみだと思った」とか色々ありました。
「棚卸どころじゃないよね~」とか「さすがにもう今日は仕事終わりだよね」とか「だから防災グッズ買っておけって言ったじゃん」とか「金曜日でよかったよね。明日男性社員出てきて片付けして月曜から通常通り出来るじゃん」とか、この時はまだ呑気に言ってました。
何度か揺れても、外に居るから物が落ちてくる訳でもないので震度がいまいち分からなくて、「また揺れた」ぐらいにしか感じてませんでした。
でも、5分~10分間隔で強い地震が何度も起きて「何なんだこれは。何かおかしい」と皆感じ始めました。
いつもより早い時間にケータイの充電しててホントによかったと思いました。
充電していなかったら、途中で切れていました。
何とか繋がった地震速報で茨城沖と出てて「え?今の茨城のなの?」と思いました。
連動して起きたのかもしれないと思いました。
もう発表を信用していなかったので、もしかしたら宮城県沖も発生するかもしれないと思いました。
鞄に単3乾電池と電池式のケータイ充電器は入れていたのですが、これも取りに行く事が出来るか分からなかったので、もっと情報収集したかったんだけど充電が切れたらマズイので一度やめて放送が復旧するのを待つ事にしました。
地震発生から45分。
周りから「もう帰りたい。いつ帰れるの」という声が上がり始めました。
「もう電車動かないだろうし、仕事も今日は終わりになるだろうな」と思いました。
帰れる人から帰ってもいいという事になったんだけど、ほとんどの人が車の鍵や貴重品類をロッカーや引き出しに入れていて、揺れが治まって安全が確認されないと中に入れなかったので、寒い中ずっと外で待機でした。
少しして「津波もう来たってよ!」と言ってる人がいて、津波は来るだろうと思っていたけど「え、もう!?早いな」と思いました。
でも、我が家の辺りは内陸なので大丈夫だと思ってたし、沿岸のもいつものように高くないんだろうなと思いました。
そしたら「7メートルだってよ!名取川逆流、閖上流されてるって!」と聞いて耳を疑いました。
「は?7メートル?名取?名取に津波?マジで?どこの情報?」と、ビックリしましたが、名取に津波が来るなんて思ってなかったし想像も出来なかったので、海岸付近だけとかじゃないのかと思いました。
閖上に住んでる人も「家流れてるかも~」と、冗談半分で本気にしてないような感じでした。
でも「仙台空港まで来た」という情報に騒然となりました。
信じられなくて、ケータイで調べようとしましたが、私のケータイはもう全然繋がらなくなってて、何がどうなっているかも分かりませんでした。
7メートルは職場の建物よりも高いので「え、こんなに高いの来たの・・・」と息を呑みました。
津波は、石巻とか気仙沼とかその辺だけだろうと思っていました。
仙台空港まで来たなら電車は完全に終わったと思いました。
そして、16時10分頃ようやく放送が復旧しました。
最大震度7、震源三陸沖、大津波警報発令中、電車は全線ストップ、名取川逆流、仙台空港に津波、停電、渋滞、一番心配してた橋は大丈夫との事でした。
部署ごとに建物に入れる事になりました。
私が逃げた時とは別の階段だったけど、天井が落ちていました。
中には滅茶苦茶になった職場の写真を撮っている人もいて、まだ余震続いてるのに馬鹿じゃないのと思いながら、私はロッカー一直線で鞄を持って階段を下りようとしました。
そしたらまた揺れて、写真撮ってた人達が慌てて走ってきて一目散に外に出ました。
上司のところに集合して、月曜日の事は日曜日に連絡するからという事で解散になりました。
上司は職場に残らなきゃいけなかったので、私は車で名取方面へ行く人に乗せて貰える事になりました。
この状況で頼むのは申し訳ないけど、電車以外に交通手段が無い私にとって非常に有り難かったです。
駐車場に向かうには建物と建物の間を通らなきゃいけないんだけど、そこを通ってる時にまた大きい地震が発生してどこに逃げたらいいか分からなくて焦りました。
幸い何ともなかったけど、この地震は異常としか言いようがなかったです。
駐車場に向かうと、車同士がぶつかっているのが多数見られました。
私が乗せて貰う人の車は、フェンスに突っ込んで凹んでいました。
こんな光景初めて見ました。
とにかく車に乗って出発しました。
名取方面という事だったので名取駅まで乗せて貰い、あとは父に迎えに来て貰う事にしました。
電話が全然繋がらなくて、ようやく繋がってその事を言い、名取駅に着いたらまた連絡するという事にしました。
母に父と合流して帰る事を言おうと電話したら、パニック状態になっていました。
家は崩れなかったみたいだけど古いし、大きい余震が続いてて1人でいるのが怖かったみたいです。
ラジオでロウソクは危ないから使わないようにと言っていたんだけど、母が「停電してるから何とかしてロウソク探し出して今点けた」と言ったので、「危ないからダメ。懐中電灯準備してるじゃん」と言いました。
混乱してて防災セットを準備しているというのを思い出さなかったようです。
しかも懐中電灯は防災セット以外にも日常で停電した時用に分かりやすいところにも置いていました。
「道路かなり混んでるから相当時間かかるかも」と言ったら「お前待ってたらお父さん帰って来れなくなる」と言われました。
本当に1人が怖くて、父に早く帰って来て欲しかったんだろうけど「じゃあ私は名取からどうやって帰ってくればいいの!電車も動いてないのに!」と、ちょっと怒った口調で言いました。
パニック起こしてる人にこういう風に言っちゃダメなんだけど、こっちも車が動かないのにイライラしていました。
「そんな事言ったって・・・あー揺れてる!」という感じでパニック状態でこっちの話を聞いてくれなくて、これ以上話しても充電無駄になると思ったのですぐ帰る事だけ伝えて電話を切りました。
10分で1メートルぐらいしか車が進みませんでした。
途中、職場の駐輪場が無事なのを確認出来たので「月曜は歩いて来なきゃダメか」と思いました。
月曜日は普通に会社に来る気というか、通常通りなんだろうと思っていました。
17時頃から雪が強く降ってきました。
車が動かない為か、私と同じように車に乗せて貰った人が車を降りて歩き始めていました。
私は歩いて帰るのは無理なので乗ったままです。
「騎馬像倒れてたらどうしよう」とか、橋を渡って「壊れてなくてホントによかった」と言ったり、「名取マジですかね?」とか、まだ津波の被害が信じられませんでした。
壁、塀、瓦、縁石、道路、所々崩れているところがありました。
運転中もほぼ止まってる感じだったから、余震が続いてて揺れてるのが分かりました。
信号が点いてないからってのもあると思うけど、全然進まないし、寒いし、暗くなってきてるしで最悪でした。
でも、皆譲り合いをしてたから自分が通った道路では事故は無かったです。
電気無しの道路ってかなり真っ暗なんだなと思いました。
4号線がもの凄い渋滞で、確か別の道路から名取駅に行きました(運転しないから道路がよく分かりません)
19時ぐらいにようやく名取駅に到着し「そういえばここはワンセグ映るじゃん」と気付いてワンセグを見ました。
マグニチュードが8.8に修正されていて驚きました。
この時初めて映像で様子を見る事ができ、地震の被害がいかに大きかったかが分かりました。
「え?うわ、何これ津波!?」と、衝撃的な映像に目を見張りました。
でも映像が一瞬だったのと、父から連絡が来てワンセグ切ったので、詳しい情報はあまり分かりませんでした。
もうすぐ着くという事で、乗せて貰った人と別れて外で待ちました。
至近距離にならないと人が居るのかも分からないような暗さでした。
トイレに行きたかったんだけど、名取駅は立ち入り禁止になってました。
父に電話してようやく繋がったら「車動かないから停めてきた。今歩いてそっちに迎えに行ってる」と言われたので、早く父と合流する為に歩く事にしました。
鞄に懐中電灯入れていてよかったと本気で思いました。
食べ物確保の為に途中で開いている店を探したのですが、もう閉まっていました。
何とか父と合流し、家に向かいました。
車の中でまず母に連絡すると、避難所に指定されている学校に避難しているとの事で、学校で合流する事にしました。
姉からこちらの様子を聞く連絡があり、今の状況と学校に行く事を伝えました。
姉の方は断水だけで電気は大丈夫との事だったので、何か情報があったら連絡くれる事になりました。
妹に連絡すると「津波来た」と言われ「え、津波?大丈夫なの!?」と驚きました。
この時、多賀城にも津波がきた事を初めて知りました。
住人皆で上の階に集まって避難してるとの事だったので、1人で行動しないようにと、何か状況の変化があったら連絡する事、充電無駄遣いしない事、こっちは学校に行く事を言って電話を切りました。
電話繋がらなくてかけまくったので、充電が減ったので鞄に入れておいた電池式ので充電しました。
本当にちゃんと準備しててよかったです。
道路は相変わらず混んでいたけど道路によってだったので、横道入ったりして21時ぐらいにようやく家に着きました。
16時半には会社を出ていたので、4時間半も掛かりました。
余震が続いていたので、必要なものだけかき集める事にしました。
探そうと思っていたのは、防災セット、電池、飲み物、食べ物、ケータイの充電器、貴重品です。
父は懐中電灯を持っていなかったけど、母がドアのところに置いていてくれました。
懐中電灯で家の中を照らして、これ程までに滅茶苦茶なのは初めてだと衝撃を受けました。
物という物が散乱し、足の踏み場が無かったです。
まず母が防災セットを持っていっているか分からなかったので置いている場所を確認すると、防災セットが無かったので持っていったようでした。
強めの余震が続くので手分けしてかき集める事にして父に探す物を言ったんだけど、家のどこに何があるか全然分かっていなかったので非常に困りました。
どこにあるか分かりそうな自分の貴重品とケータイの充電器、見えるところに置いてある飲み物を回収するように言って、私はバッグを取りに行きました。
部屋もタンスが倒れてたり物凄い事になってました。
貴重品とケータイの充電器をバッグに入れて戻り、デカいバッグを父に渡してそこに回収した物を入れて貰っている間に電池とすぐ取れるところにあったお菓子を回収しました。
父が「早くしろ」と急かすので「だったら家の事ぐらい分かっててよ」と思いました。
ほとんど私が回収しました。
車に戻って、忘れ物が無いか確認すると母のケータイの充電器を回収していませんでした。
父と一緒の場所に置いてあるのに「何で一緒に回収しないの!」と怒りました。
「自分のだけとか有り得ない」と思いながら、母のケータイの充電器を探しました。
金魚を飼っているので水浸しになっていて、その付近に落ちていました。
あと母の物で何か忘れていないかと確認してると、また大きく揺れたので「もうヤバい」と家を出ました。
学校に駐車出来るか分からなかったので、歩いて行く事にしました。
学校に着くと校庭は車でいっぱいでした。
体育館に入ったら、人がビッシリ体育座りしている状況でした。
「この中から探すのか」と母を探し始めたら、入口付近に居たのですぐに合流出来ました。
見つけやすいようにと入口付近に居たようです。
取りあえず、この後どうするかについて話し合いました。
避難所に指定されている学校なのに毛布がたったの30枚ぐらいしか無いとの事で、この状態では寝る事も出来ないし寒いし建物の中に居るのが怖いという事で、車に乗って倒れてくる物がない校庭に居る事が安全という事になりました。
父が車を取りに行っている間に、母に姉と妹の状況を説明しました。
やはり妹が津波にあったのをとても心配していました。
父が到着して車に乗り、校庭に駐車してラジオを聞きました。
「荒浜に200体ぐらいの遺体」と聞いて驚き、予想以上の深刻な事態になっているとようやく分かりました。
ですが、同じ情報の繰り返しだったりで全容はまだ分かっていませんでした。
ネットの方が情報あるんだろうけど、全然繋がりませんでした。
親戚関係に電話しても繋がらず、ガソリンもどうなるか分からないのでエンジン切って寝る事にしました。
ですが、非常に寒くて寝れたものではなく、家に毛布を取りに行き、その時に家で普段使っているラジオを回収しました。
防災セットにもラジオは入っているんだけど、車の中で探すのが大変だったので普段使ってる方を使う事にしました。
学校に戻ってきて私と父は寝る体勢になりましたが、母は眠れそうにないとの事で持ってきた電池式ラジオを聞いていました。
私のケータイが何度も「auからの着信のお知らせ」で鳴るんだけど、かけ直しても繋がらなくて5分おきぐらいに鳴るから寝てるどころでもなくて、半分寝てる状態でした。
昼から何も食べてなかった事を思い出しましたが、この先食料がどうなるか分からなかったし、そこまでお腹が空いている訳じゃなかったので何も食べませんでした。
知らない番号からの着信があり、普段は知らないところは出ないけど、こういう状況だったから出たんだけど間違い電話でした。
皆安否確認で必死になってるんだと思いました。
姉と妹からの着信のお知らせも沢山きてるんだけど、何度かけても繋がらなかったです。
特に妹が心配で結局多賀城まで迎えに行く事にしました。
夜遅かった為か、道路はそれほど混んでいませんでした。
途中、道路が濡れた跡があったのでここまで津波がきたんだと分かりました。
道路を進むと冠水で通行止め。
交通整備中の警察官に別の道は大丈夫か聞いても全然通れないとの事で諦めて帰ってきました。
学校の校庭は車が密集していたので、余震がきたら車同士ぶつかるかもしれなかったので、近くの店の駐車場に停めました。
気が付けば、時刻は0時を回っていました。
まさかこんな大地震が発生し、我が家から避難しなければならない事態になるなんて思っていませんでした。
「備えあれば憂いなし」とはいうけれど、備えてたからそれで過信してたところもあった気がします。
こうして長い長い1日は幕を閉じました。
私は3日もすれば元通りの生活が出来るだろうと思っていました。
この時は情報不足で沿岸部が大変な事になってるのは分からなかったし、中心部はほとんど被害無いようだったし、我が家近辺も建物の倒壊や道路が崩れているところもありませんでした。
そんな予想とは裏腹に、翌日からは過酷な日々が待っていました。

11日まで終わりました。
12日からの分も書く予定です。



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