2011年05月10日

東日本大震災まとめ3

東日本大震災まとめ2の続きです。

【3月12日】
時刻は深夜を回りましたが、度重なる「着信のお知らせ」に寝たり起きたりを繰り返し、狭い車の中では腰や背中が痛くなり、何度も体勢を変えて寒さに耐えていました。
1時頃、親戚からの電話が繋がり皆無事な事を確認出来ました。
2時頃、妹からの電話が繋がりました。
まだマンションに避難中との事、水が引かなくて出られない事、彼氏と合流出来たら我が家まで送って貰える事、取りあえず無事で安心しました。
4時ぐらいに完全に目が覚めてラジオ聞いて、この時初めて福島原発が大変な事になっているのを知りました。
姉が福島にいるので、とても心配でした。
電話かけ続けている最中に長野の方で震度6の地震があり、「日本どうなっちゃうんだ」と本気で思いました。
5時頃にようやく電話が繋がり、無事と現在の状況を確認出来ました。
原発から離れているので大丈夫、断水のみとの事でした。
取りあえず明るくなったので家の状況を確認しに戻る事にしました。
新聞が発行されていたのにまず驚きでした。
そして、1面に載っていた津波で流された家屋と火災の様子に言葉を失いました。
ここまで酷い状態になっているとは思わなかったです。
ラジオで聞いたのと写真で見たのではこんなに違うんだなと思いました。
家の中は、やはり酷い状態でした。
とにかく電池をもっと確保しなくてはと、リモコンやゲーム機から外しました。
意外に結構集まりました。
とにかく家の中が滅茶苦茶で座る場所も無かったので、取りあえずダンボール箱に適当に入れる事にしました。
私が個人的に色々使うから取っておいたダンボール箱が役に立ちました。
片付けたらさすがにお腹が空いたので、朝食兼昼食として11日の地震前に親が買っていたパンと冷蔵庫にあった魚肉ソーセージを食べました。
この時は当分パンが食べられなくなるとは思っていなかったです。
とにかく情報収集がしたかったんだけど、停電で情報源はラジオのみでした。
電池残量に注意しながらネットに繋がるかチェックしていると、16時頃からたまに繋がるようになりました。
電話はまだダメだったので、取りあえず現在の状況を姉と妹に連絡しました。
姉からは「自分の方は大丈夫」と連絡があり、妹からは「まだ水が完全に引いていないけど避難してるマンションの住人皆で避難所に行こうか話し合ってる」と連絡がありました。
ネットのニュースをちょっとだけチェックして、この時初めてこの地震の被害が広範囲で他県も大変な事態になっている事を知りました。
ラジオでは主に地元の事しかやらないので、茨城や千葉も被害があった事は全く知りませんでした。
ブログもようやく書く事が出来ました。
電池が危ないのでブログ書いてネットに繋ぐのはやめました。
あまり食べていないせいか17時過ぎ頃には疲れてて、お腹も空いたので早々にご飯食べて寝る事にしました。
この日の夜ご飯は、冷蔵庫にあったウインナーと買い置きしてたミニサイズのカップラーメンでした。
寒くてストーブつけたんだけど、余震で結局すぐ消さなきゃダメになったので布団に入る事にしました。
19時頃にはもう半分寝てる感じだったんだけど、ちょっと大きい余震に何度か起こされその度に荷物持って逃げる体勢になっていました。
寝ては起き、寝ては起きと繰り返し、正直もう勘弁してくれとうんざりでした。
起きる度にカーテンを開けて外を見て、電気復旧してないかと確認しましたが外灯は点いてませんでした。
家から見える役所周辺の灯りが羨ましかったです。
そんな感じで気付いたら12日も終わっていました。
ネットに繋がるようになった事が、昨日より良くなった唯一の事でした。
電気復旧すると思ってたので、結構ショック大きかったです。
自分が思ってた以上に深刻な状況なんだとあらためて思いました。

【3月13日】
6時前に起床し、本日の予定を話し合いました。
備蓄しておいた水とクラッカー、買い置きしてたカップラーメン、お菓子類、冷蔵庫の中身が少々、ストック電池がこの日で無くなりそうな状況でした。
水と食料の確保を最優先、あとガソリン、ケータイの充電を何とかする方向に決まりました。
まず、近所の人からちょっと離れた学校の校庭の水道から水が出るとの情報を得たのでその学校へポリタンクとペットボトルを持って行きました。
が、昨日出てたはずの水は出なくなっていました。
同じように来てた人から「他の施設に給水車が来るらしい」という情報を得たので、取りあえず行ってみる事にしました。
行くと数人が並んでて、「給水車が来るかは分からないけど並んでいる」との事でした。
母親が並び、私と父は食料とガソリンとケータイ充電の為に市役所付近に行く事にしました。
ガソリンスタンドは長蛇の列で、営業するのかしないのかも分からない状況でした。
何時間も掛かるからと父は並びたくないようで、空いてるところを探してグルグル回り、営業しそうなところを発見して並びました。
その時、コンビニの袋を持って歩いている人が居て「営業しているのかも」と私は車を下りてコンビニへ向かい、列を発見して並びました。
入場制限をしていて、30分ぐらい並んで入れました。
買う量に制限は無かったので、私が入った時にはほとんど物はありませんでしたが、お茶、コーラ、飴、ガム、チョコ、グミ、マシュマロ、おつまみ昆布を買う事が出来ました。
買って車に戻ると、並んでたガソリンスタンドは緊急車両のみだったそうで結局ガソリンを入れる事は出来ませんでした。
ケータイの充電も1人15分との事だったので、あまり意味ないかもしれないとの事で家に戻る事にしました。
途中で妹から電話が来て「マンションの住人皆で避難所に行った。高台だから津波の心配はない」との事で一安心しました。
姉に妹から連絡があった事と現在の状況をメールしました。
とにかく情報不足でした。
繋がり始めたネットで市役所のホームページを見ても、給水等の情報は全く無くてハッキリ言って何も役に立ちませんでした。
電気が大丈夫な姉に調べて貰った事を聞いた方が分かるだろうという事で、メールが不安定なので公衆電話から電話を掛ける事にしました。
公衆電話はこの時既に無料になっていて、近所に1台あって夜中はほとんど誰も使ってなかったので夜になったら電話する事にしました。
家に帰り、する事と言ったら片付けしかなくて、でも余震続いててまた崩れると思うとやる気も出ないし、お腹空いてるし・・・という感じでした。
色々と考えて不安になりました。
当初3日ぐらいで元の生活に戻るだろうと思っていたけど、到底明日元に戻る様な状況じゃないし、近所の店は開いてない、ガソリンは無い、電気も水道もガスも無いこの状況が長期間続いたら一体どうなってしまうんだろうと思いました。
いかに自分が贅沢で便利な生活をしていたかというのが身にしみて分かりました。
宮城県沖だって来る来る言って備えてたけどまだまだ来ないと思ってたし、今回の地震は宮城県沖じゃないのにここまで酷い状況になりました。
宮城県沖が来たらまた同じようになるのかと思うと気が重くてどうにもならなかったです。
マイナスの事しか考えられなくて、自分で自分を追い詰めているような感じでした。
でもネットが繋がりやすくなってるから、電気はそろそろ大丈夫なんじゃないかと期待していました。
友人達に安否確認のメールを送ると、ちゃんと返信があって安心しました。
母が家に帰ってきて、水を確保出来ていました。
まず情報交換し合い、お昼頃になったのでお昼ご飯を食べました。
水は大事なので、お茶系の飲み物とお菓子を食べました。
この頃から米が恋しくなりました。
毎日農家から買った美味しい米を食べていた私にとって、米が食べられないというのは苦痛でした。
いくら願っても無理なものは無理なので我慢するしかなかったですが、食べたくて食べたくてしょうがなかったです。
あと、お風呂に入れないのとトイレをバケツの水で流さないといけないのがキツく感じるようになりました。
流せないよりはいいですが、結構水使うので大変でした。
グダグダしててもしょうがないので、放置してた部屋を足の踏み場が出来る程度だけ片付ける事にしました。
その間、近所の学校のプールの水が貰えるとの情報を得たので父が行き、母は自転車で開いてる店がないか探しに行きました。
片付け終わった頃、彼氏に送られて妹が帰ってきました。
この時の喜びは、妹が可愛くて可愛くてしょうがない私にとって半端なものではありませんでした。
高台の避難所と言ってもどれぐらい高いのか分からなかったし、余震も続いててもっと大きい地震が起きてもっと大きい津波が来たらと思うと気が気じゃなかったので、無事な姿を見てホッとしました。
通行止めが解除されたのも知らなかったし、ガソリンが間に合うかもギリギリのところだったので、初日以降は迎えに行きたくても行けなくてずっと心配でした。
聞けば、何も準備らしい準備をしていなかった妹の為に電池や衣類を調達してくれたそうで、まだ見た事も無い妹の彼氏に感謝しました。
親が帰ってきて、開いてた店を発見して温めるご飯をGETしていました。
この際どこの米だとか贅沢は言っていられません。
湯煎でも大丈夫なので、夜ご飯はこのご飯とさんまの缶詰を2人で1個ずつ食べました。
久し振りのご飯美味しかったです。
ご飯を食べてからはラジオを聞きつつ、寒いので毛布に包まりながら点けられないコタツに足を入れて明日の予定を話し合いました。
この日開いていた店は明日も開くかもしれないという事で、2人は買い出し、1人は給水、1人はプールの水という事に決まりました。
時間は22時をまわり、そろそろ寝ようかという事でふと外を見ると外灯が点いていました。
最初は気付かなかったんだけど、昨日と明るさが違う事に気付いてよく見てみると家のすぐ前の外灯が確かに点いていました。
慌てて「電気きてる!」と叫び、ブレーカーを上げに行きました。
ブレーカーを上げ、電気のスイッチを押し、明るくなったあの時の喜びは計り知れないものでした。
電気が点いたというただそれだけの事なのに、まるで宝くじの1等が当たったような喜び様でした。
中心部に住んでいたからこんなに早く復旧したんだと思いました。
とにかく、電気がくれば何かしら生活が改善されると思っていたので嬉しくてたまりませんでした。
「テレビ、テレビ!」とテレビをつけました。
すると地デジが全く映りませんでした。
我が家はケーブルテレビ会社にアンテナ工事をして貰っていたので、「もしかしたらケーブルテレビ会社も被災して電波状態悪いのかもしれない」と思い、アナログに切り替えました。
すると映ったは映ったけど、ノイズが酷くて何が映っているのかはよく分かりませんでした。
どこかおかしくなったのかもしれないと思いましたが、取りあえずこの日はもう疲れたから寝ようという事になりました。
私は部屋に戻ってネットが繋がる事を確認し、姉に電気復旧の連絡をして、ブログも更新しました。
この時皆様からのメッセージも確認する事ができて、沢山のメッセージが来ていた事に驚き、嬉しくなり、そして励まされました。
「そうだ充電!」と電池のストックが残りわずかだった事を思い出し、ケータイの充電をしながら情報収集しました。
この時、マグニチュードが9.0に修正された事を知り、とんでもない事になったと感じました。
国内観測史上最大、世界最大級、まさかその地震を体験する事になろうとは思っていませんでした。
日に日に増える死者と行方不明者数に、命があっただけでも奇跡だったんだと思いました。
地震・雷・火事・おやじとはよく言いますが、自然災害は本当に怖いし、自然の前では人間は無力なんだという事を思い知らされました。
電気の復旧により、水道やガスもすぐ復旧して元の生活に戻れる日も近いだろうと希望に胸を膨らませながら、この期待が翌日砕かれる事になるとは知らず、晴れやかな気持ちで眠りにつきました。

13日までの分を書きました。
電気の復旧により、この日以降はブログの方に大体書いていますので今回でこのまとめは終了です。
これが11日から13日の私の記録です。
思い出しながら書いてみて、辛い日々が蘇ってきました。
津波の被害に遭った方々に比べたら「この程度」と思うかもしれませんが、私にとっては二十数年生きてきた中でこれが人生のどん底でした。
「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか」と毎日思っていました。
今までの人生もあまりよくない事ばかりですが、まだ今以上によくない事が起きるのかと思いました。
水や食料不足により正常に働かない脳と体、こけていく頬と悪くなる顔色、落ちていく筋肉。
凍てつく寒さに家の中で吐く息も白く、体の震えは地震で揺れているのだと自分に言い聞かせました。
頻発する余震に怯え、もうやめてくれと願い続けました。
物資がこなくなったらどうなるだろう、もっと寒くなったらどうなるだろう、もっと大きい地震が起きたらどうなるだろう・・・
「生き延びられるだろうか」とさえ思いました。
「毎日がXデー」という極限状態の中、受け入れたくない現実とそれでも向き合わなければならない現実に苦悩しました。
確かに宮城県沖地震が起こるとは言われていたけど、違う地震が何故、今、宮城を襲うのかとそればかり考えていました。
岩手・宮城内陸地震の被害やチリ地震の津波被害からようやく立ち直ってきた頃にこの地震。
どうして宮城なのかと、変わり果てた愛する宮城の景色に涙が止まりませんでした。
もう二度とこんな思いはしたくないですが、地震大国日本に住んでいる以上はまたあるんだろうなと思っています。
何年先かは分からないけど、何事も無く生きていれば宮城県沖地震は体験する事になるだろうなと思っています。
「滅多に出来ない体験が出来た」と言ってしまえば自分の経験値になったのかとも思えますが、今後に活かさなければ意味がないですね。
阪神大震災や新潟県中越地震の体験者がその経験を活かしてくれたように、自分も斯くありたいと思います。
長々とここまで読んで頂き、どうも有難う御座いました。



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