2011年04月11日

東日本大震災まとめ

決して忘れる事はないであろう2011年3月11日。
あの日から1ヶ月経った今でも、夢であって欲しいと願わずにはいられない。
何気ない日常が、2011年3月11日14時46分、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」の発生を境に一変してしまった。
今までの人生で最悪の長い長い1日だった。
振り返って記録に残しておこうと思います。

【3月9日~3月10日】
地震が来たらまず宮城県民なら「宮城県沖地震」を思い浮かべます。
3月9日の昼頃に震度5弱の地震がありました。
三陸南地震、宮城県北部地震、宮城県南部地震、岩手・宮城内陸地震等、過去に何度か大きい地震を体験していますが、この日の地震は久し振りに大きな地震で、ついに宮城県沖地震がきたのかもしれないと思いました。
しかし震源地は三陸沖。
それを知って私はがっかりしました。
何故なら、この揺れが宮城県沖地震であれば当分宮城県沖地震は発生せず、次の周期に入ってくれるからです。
そうなると気になるのが宮城県沖地震との関連性です。
発表によると宮城県沖との関連性は無し、連動して宮城県沖地震が発生する事はないとの事でしたが、今後震度4程度の余震が起こる可能性があるので注意との事でした。
震度1~3の余震が頻繁に続き、10日の6時半頃には震度4の余震があったので、ニュースや職場での話題も地震の事ばかりでした。
震度4の余震があったけど、まだ起こる可能性があるので引き続き注意との事でした。

【3月11日】
3時過ぎ頃に震度3ぐらいの余震で起こされ、寝てる時は勘弁してくれと思いながら、いつもの朝を迎えていつものように出勤。
職場に着いて「地震気付いた?」とか「電車止まったり遅れたりするから勘弁して欲しいよ~」と、普段地震が起きた時にするような会話をしました。
午前中の休憩時間にいつも見ているブログをチェックすると、そこに気になる事が書いてありました。
「前にあった地震で、本震だと思ってたのが実は前震で、後からもっと大きいのがきたから油断できない」というものでした。
確かに宮城県北部地震はそうだった事を思い出しました。
でも「余震は震度4程度」「宮城県沖地震との関連性無し」という発表があったから、それ以上のものは来ないだろうと思ってたし、ちょっと強いぐらいじゃ被害もこの間と同じか少しあるぐらいだろうと思ってました。
津波も、自分の住んでるところが内陸部なので全然心配していなかったです。
職場の人にも「9日のが前震で、もっと大きいのがくるかもしれないよ」と言ってみましたが、「えー大丈夫じゃない?」と返ってきました。
近い将来必ず来るとずっと言われ続けてるけど宮城県沖地震は全然来ないし関連性も無いって事だったから、「宮城県沖じゃないんでしょ?いつものただの地震じゃん」と楽観的に見ていました。
震度5でも大した被害がなかったのは、宮城県沖地震に備えて耐震等の対策を取っているからだし、過去の大きな地震や起震車(地震体験車)で阪神大震災の揺れを体験した事があり地震に慣れてきてて、それで大丈夫だと思っているところもありました。
それに前に書いた事あるけど、我が家では宮城県沖地震に備えて防災グッズをかなり準備していました。
「準備しているから大丈夫」という気持ちもありました。
職場の方はあまり揺れが強くならない為か防災グッズを買っていない人が結構います。
私は職場が遠いので、職場に居る時に被災した時の為に懐中電灯やラジオを鞄の中に入れてます。
職場の人にそれを言うと大袈裟だとか、頭をまず守らなきゃいけないからヘルメット欲しいと言うと笑われたりしていました。
地域によって防災意識に差はあると思うけど、「何も準備していないけど大丈夫」「準備してるから大丈夫」と思っていた人がいたのは事実です。

昼の休憩時間にも地震の事を話していました。
私は車を運転しないので道路が分かりません。
職場周辺の事も買い物をする訳でもないので全然知りません。
必要無かったので知ろうとしていませんでした。
今までの大きな地震は家に居る時に発生しました。
その度に職場に居る時じゃなくてよかったと思いました。
何故なら、川を渡っているからです。
橋が崩れた場合、他に渡れる場所を知りません。
職場で大きな地震にあったのは9日が初めてで、「余震で橋が崩れたら・・・」と、不安になりました。
職場の人に聞いたらかなり周らないといけなくなる事は分かったのですが、地名もよく分からないので「これは地図買わないとダメだな」と言うと「そこまでする~」と笑われました。
「だってマジで分かんないし、帰れなくなったらどうすんの。鞄にいれておく」と言いました。
「鞄パンパンじゃないの~」と笑われましたが「準備してないよりいいもんね~」と言い返しました。
職場の方はホントに楽観的な人が多い気がしました。
でも、今回はやはり余震が続いていつもと違うという事もあり、「懐中電灯だけ一応買った」という人や「週末に防災グッズ見に行く」という人も中にはいました。
発表では宮城県沖地震との関連性が無いと言ってたけど、「万が一の事も考えておかないと」と思い、我が家のカセットコンロが壊れてて週末買いに行くと言っていたから、一緒に行って他の防災グッズも見ようと決めました。

午後の仕事は昼食後なのでとても眠くなります。
いつもそんな感じで、この日も同じように眠い眠いと思いながら仕事をしていました。
私は色んな仕事をしているので自分のデスク以外にも作業エリアを持っています。
作業エリアは場所が狭いので座るスペースがなくて、1段目にパソコン、2段目にファイル、3段目もファイルという感じのキャスターついてる台を移動させながら使っています。
「座れなくて足痛い~」と文句を言いながらキーを叩くのもいつもの事です。
この日ちょっと違ったのは、いつもなら15時過ぎからケータイを充電しているんだけど、なんとなく14時頃からケータイを充電していました。
15時になれば午後の休憩になるので、あともうちょっとだと時計を何度も見ながらパソコンで作業をしていました。

そして14時46分。
「あ、地震だ」と思いました。
「余震だな~」と思いながらも、一応作業の手を止めて周りの人達の様子を伺いましたが、皆「揺れてるね~」ぐらいでした。
でも治まらないし、揺れが強くなり始めました。
「あ、ちょっと強い。ヤバいかも」と感じ、充電してたケータイのコードを引っこ抜いてそのままポケットにしまいました。
大きい地震が発生すると職場で自動放送が流れるんだけど、9日に初めて聞きました。
震度が何で、どういう対応をしなさいというものなんだけど、それが流れました。
「震度3の揺れを検知しました」と流れ「3な訳ない、嘘だろ」と思った次の瞬間にぐわんぐわん揺れ始めました。
「え、何?え?え?」という状態になりました。
放送は途切れ、女性社員の悲鳴が響き渡りました。
私はパソコンの台にしがみ付いてたんだけど、キャスターだから動く。
揺れは治まるどころか強くなり、頭を守るものを探したんだけど近くに何もなかったし、潜れるようなところもありませんでした。
職場はパソコンのケーブル関係を天井から吊るしてあるカーテンレールのようなものに引っ掛けているので、そのレールのようなものが落ちて来るんじゃないかと上を見たら、グラグラ揺れてて今にも落ちそうでした。
しょうがないから腕で頭を守りました。
狭い場所で物も多く、揺れが激しくて動けなかったです。
左右の棚がいつ倒れて来るんじゃないかと上と横を確認しながら治まるのを待ちました。
窓側にいたんだけど「これはマズイ」と思って、「窓|自分|台」という状態だったのを「窓|台|自分」と体を入れ替えました。
電気は消え、大きくなる揺れと悲鳴。
近くの男性社員も同じような台を使ってたんだけど、無理矢理2段目に頭を突っ込んでいたので、私も2段目のファイルを退かして頭だけ突っ込んで、台の脚を掴んで床に膝をつきました。
頭隠して尻隠さず状態。
台は4本のポールに板を3段に付けただけのものなので遮るものがなく、四方を見る事が出来ました。
男性社員の方を見ると天井が落ちてきていました。
「天井が!」と、思った瞬間に窓ガラスがバリバリ割れる音が聞こえました。
「窓|台|自分」の並びになっているけど、窓との距離は1メートルちょいぐらいしかありません。
見るとブラインドのお陰で飛散するのはいくらか抑えられたようですが、細かい破片が飛んできて「うわぁ」と台ごと後ずさりしました。
自分の上の天井が落ちてこないか気になるけど、頭を出す訳にいかないし、上は天井、前は窓ガラス、左右は棚、何をどうすればいいのかも分からなかったです。
とにかく早く治まれと思いました。
でもなかなか治まらなくて「何これ?え?何?怖い・・・」と初めて地震を怖いと感じました。
動悸が激しくなり、呼吸も早くなり、耳がキーンとして涙が少し出ました。
でも、人に涙を見られるのが好きじゃないのですぐに拭いました。
そしてようやく治まった時には放心状態でした。
動けなかったというか、どうすればいいか分からなかったです。
いつも避難訓練では、放送で「避難して下さい」って言われたら避難するようになってたから放送を待ってました。
でも放送はなくて、近くにいた人達も動けずにいました。
そしたら、上司が来て「大丈夫だから」と背中を叩いてくれました。
その時「はい」と答えた声が、自分でも初めて聞くような、か細く震えている声でした。
でも、これで動けるようになりました。
相変わらず放送はなくて、上司は立てなくなってる女性社員に同じように「大丈夫だから」と声を掛けていました。
これは後から分かった事なんだけど、最初に放送が途切れた時に故障したそうです。
私は揺れが治まれば放送も再開されると思っていたので、「避難して下さい」の放送を待っていました。
私はフロアの出口のドアから一番遠い窓側に居たんだけど、どうやらこの周辺に居た人達は逃げ遅れグループだったようです。
他の人達は「避難して下さい」の放送を待たずに避難してたみたいです。
上司に「避難するぞ」と言われて、逃げ遅れてた7名ぐらいで避難を開始しました。
崩れた時の粉が舞ってて、視界はあまり良くなかったけど、マスクしてたから吸わずに済みました。
足場は崩れた天井やら倒れた棚とかファイルとかが散乱してて非常に悪かったです。
上司に「大丈夫?」って聞かれて、大丈夫じゃないけど「はい」って答えました。
本当は怖かったけど、自分に大丈夫だと言い聞かせる感じでした。
ここで怖いと思ったらまた涙が出そうな気がしたし、取り乱して他の人に迷惑掛ける事になるかもしれなかったので我慢しました。
いつも私は冷静とか落ち着いてるとかCoolとか言われてるんだけど、この時は何とか感情を抑えないと冷静でなんていられませんでした。
足元に気をつけながら避難してたら、また揺れ始めました。
「えぇ~まだ揺れるの!」と思ってると、一番泣いて怖がってた女性社員がパニック状態になり、逃げるのか揺れが治まるまで待つのかどうすればいいのか分からなくなりました。
「逃げろ逃げろ逃げろ!」という男性社員の声にハッとしてフロア出口のドアに全速力で走りました。
避難訓練の「走らない」なんてのはこの状況で有り得なかったです。
これ以上揺れたら、走って逃げなきゃ建物が崩れて潰されると思いました。
男性社員が誘導してドアを開けて女性社員を先に出してくれました。
2階に居たんだけど、幸い階段は無事だったので転がるように駆け下りて、階段横にあるドアから建物裏へ出ました。
建物から離れ、敷地内で何も倒れてこないところへなだれ込みました。
地割れしてるし、何度も揺れるし、水道管が壊れて水が滲み出しているところもありました。
とにかく建物から無事に出れた事で、一息つく事が出来ました。
男性社員は逃げ遅れた人がいないか確認してから出てきました。
そしていつも避難訓練の時に集まっている建物前まで移動しました。
そこには皆集まっていたので、この時に自分達だけ逃げ遅れて裏から出た事を知りました。
一番出口から遠かったとはいえ、本当に危機一髪だったんだと思いました。
上司が人数を数え、そのまま待機と言われました。

長くなりましたので、一度ここで切ります。
まだまだ続きます。



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Posted by 五十衛 at 10:14 │災害・防災関連

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